◆『がんばれ! お父さん』
──そいつを譲ってくれ、頼む! 娘の誕生日に渡してやりたいのだ!」
「無理ですってお客さん……!」
 魔王城の西方に広がる、砂漠地帯。
 交易の中心であるエダールの市場の香水店で、一人の大男が粘り強く交渉を続けていた。
 男の名はエドヴァルト。魔王軍四天王、竜将軍エドヴァルト──しかして今は娘の誕生日プレゼントに香水を買いにきた、一人のお父さんであった。
 エドヴァルトの迫力に怯むことなく、初老の男性店主が肩をすくめる。
「さっきから言ってるでしょう。この香水、〝バルカの情熱〟は数ヶ月ぶりに入荷したばっかりで、しかも一年先まで予約でいっぱいなんです! お客さんだけを特別扱いするわけにはいかないんですよ」
「ぬう……
「代わりと言っちゃなんですが、こっちのコロンなんかどうです? うちの香水はどれも良い品ばかりで──
「それではダメなのだ。わざわざメルネスに協力してもらってまで掴んだ、ジェリエッタ一押しの香水……こいつを買って帰ってやらねば父親としてのメンツが立たん!」
「ふうむ」
 店主が腕組みし、小さく唸る。メルネスという名前に聞き覚えがある気がするが──具体的には、酒場に貼ってあった『要注意! 魔王軍幹部を見たらすぐ衛兵へ!』という手配書にそんな名前が書いてあったように思うのだが──今はそれよりも目の前の男だ。
 言うべきか言わざるべきか。そんな風にしばらく考え込んだあと、店主がぽつりと口を開いた。
──どうしてもと言うのなら、手がないわけでもありませんよ」
「本当か!?
「そもそもですよお客さん。〝バルカの情熱〟がこれほどまでに品薄なのはなんでだと思います?」
 前のめりになってカウンターに手をつくエドヴァルトを制止しつつ、店主が逆に質問を投げかけた。
 香水の原料は蒸留水とアルコール、そして香りの元となる香料だ。当然ながら前者二つはごくありふれたもので、そこに大した付加価値は存在しない。エドヴァルトも早々に理解したのか、回答は早かった。
「門外漢ゆえ、ありきたりな答えしか返せんが。……原材料が極めて特殊か、あるいは恐ろしく高額である。そんなところか?」
「そうです、その通りです! この香水の主な原料は、南の岩場にあるドラゴンの巣の最奥でしか採取できない珍しい花──『バルカの花』なんですよ」
「ドラゴンの巣か……! なるほど、そりゃ生半可な腕では採ってこれんな」
「ええ。先日久しぶりに入荷した材料も、せいぜい香水二つか三つぶん程度にしかならなくて。これじゃあ商売あがったりですよ」
 エダールの街は、ここ砂漠地帯でも一番の大都市だ。それゆえギルドに出入りする冒険者もかなりの数で、中には他の地方で武名を轟かせたベテラン冒険者もちらほら存在する。
 そんなベテランたちですら尻込みし、犠牲を覚悟しなければ探索できないほどの危険地帯──ドラゴンの巣とはそういうものなのだ。ドラゴンの巣でしか採れないバルカの花が希少なのも、それを原材料とする『バルカの情熱』が幻の香水と呼ばれるのも、しごく当然の話であった。
「ふうむ……
「ね、わかったでしょう? 手がないわけではない──けれど危険すぎます。娘さんにゃあ申し訳ないですが、別の香水で我慢してもらって……
「おい店主よ」
「はい?」
「一度に採っていい花の数に決まりはあるのか?」
……はい?」
 唐突に問いを投げかけられ、店主が思わず聞き返した。
「採っていい花の数だ! ほれ、生態系が壊れるとかそういうので制限がかかってるものもあるだろう? 一回に何本までとか、そもそも関係者以外が摘んではいかんとか。バルカの花はどうなんだ?」
……特には聞いてませんね。バルカの花はあくまで〝分布域が特殊〟ってだけで、繁殖力はかなり強いみたいなんですよ。大昔、恐ろしく強いナントカって冒険者が一人で巣に乗り込んで根こそぎ花を持ってきたみたいなんですが、ひと月足らずで元通りになったとかいう記録も残ってるくらいです」
「香水ひとつに使う花はどれくらいだ?」
「ひとつにつき花一本もあれば。……お客さん、何するつもりです?」
「何を、だと? 知れたことよ!」
 待ってましたとばかりにエドヴァルトが会心の笑みを浮かべた。ドンと分厚い胸板を叩き、店の外まで響くような声で宣言する。
「材料が足りんのならば取ってくればよかろう! これから俺がドラゴンの巣に乗り込み、そのナントカという冒険者のように花を根こそぎ持ってくるのだッ!」
「えぇえ!? ひ、一人でですか!?
「一人でだッ!」
「えぇ……
「安心しろ、むやみやたらにドラゴンたちを傷つけるようなことはせん。パッと忍び込んでサッと摘めればそれで良し、もし気づかれても峰打ちで済ませるつもりだ。──巣の場所は南の岩場だったか。まあ、夕方までには帰ってこれるだろうよ」
 この大男は本当に自分の説明を聞いていたのだろうか? 店主は絶句し、そして訝しんだ。
 ベテラン冒険者がパーティを組んでもなお危険なドラゴンの巣──そこにたったひとりで乗り込んで、しかも半日足らずで戻ってくるなど、正気とは思えない!
 よほどの腕自慢か、さもなくばただの自殺志願者か。
 本来なら有無を言わさず止めるべきなのだろうが、店主はそうはしなかった。真の実力者が纏うオーラのようなものをエドヴァルトから感じたというのもあるが──それ以上に、娘を想って危地に飛び込む彼の気持ちに、同じ父親として共感するところがあったからだ。
「わかりましたよ。そこまで覚悟が決まっているのなら、私からは何も言いません。本当に百本……いえ、一本でもバルカの花を摘んで来れたなら、それを使って香水を作ってあげましょう」
「おおっ、恩に着るぞ!」
「でも忘れないでくださいよ! 娘さんのことを想うなら、必ず生きて帰ることです。どんなプレゼントよりもそれが一番大事なんですから」
「ははは、分かっておるわ! このエドヴァルト、いかなる理由があろうと娘を悲しませるようなことだけは絶対にせん。安心しろ!」
 ぶんぶんと手を振り、大男が店を出ていった。
 エドヴァルト──そういえばエドヴァルトという名前も酒場の手配書で見た気がするが、まあ気のせいだろう。魔王軍の大幹部が、あんな子煩悩おじさんであってたまるものか。
 ああ、娘さんのためにもどうか彼が無事に戻ってきますように……

 ──それから半日後。店主の心配は良い意味で裏切られることになるのだが、それを詳細に語る必要はないだろう。
 愛する娘のために父親が奮闘した、ということ。
 重要なのは、ただそれだけなのだ!

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 同時刻、魔王城の廊下。

「ほい。大したもんじゃないが、誕生日おめでとさん」
……! ありがとうございますレオ殿!」

 エドヴァルトが奮闘している頃、少女騎士ジェリエッタは、たまたま出会った勇者レオからプレゼントの小包を受け取っているところだった。
 同僚や友人の誕生日を把握しておくのが良いことかどうかは、場合による。しかしレオとジェリエッタのようにそこそこ親しい関係の場合、こうして誕生日にきちんとお祝いを渡すほうが交友関係をスムーズにしてくれるだろう。
 ジェリエッタがバリバリと音を立てて包装紙を──ラルゴではこうやってプレゼントを開けるのが何よりのお返しとされる──盛大に引き裂き、中の小箱を開ける。一瞬の沈黙ののち、ジェリエッタの顔がパッと明るくなった。
「こっこれは、まさか……! 伝説の香水、〝バルカの情熱〟では!?
「ああ。お前が欲しがってる、ってメルネスから聞いたんでな」
「いいのですか? バルカの情熱は原材料が特殊すぎて万年品薄だと〝月刊キャバリエ〟にも書いてあったのですが、そんな高価なものを……
「いや、それがな」
 レオが困ったように頬をかいた。
「むかーし、ちょっとした依頼でバルカの花を──原材料の花をドッサリ穫ってきた事があったんだ。本来なら香水に加工して市場に流すはずだったんだが、色々あって花だけが俺のところに残っちまってさ。〝特殊な原材料〟が腐るほど余ってるんだよ、文字通り」
 レオが渡した香水は、中身から容器まですべて手作りだ。彼の腕なら『バルカの情熱』を大量生産して儲けることも可能だろうが、そうしていないのは余計な諍いを避けるためだろう。
 市場価格の混乱、他商人とのイザコザ……多少の収入と引き換えにするにはあまりにリスクが大きい。
「時間操作呪文で花を保存するにも限界がある。かといって捨てちまうのも可哀想だから、たまーにこうしてプレゼントに使ってるんだ。余り物ですまないが、よかったら使ってやってくれ」
「そんな! 余り物だなんてとんでもないです! むしろとても……非常に……嬉しいです! はい!」
 よく手入れされた赤いロングヘアを揺らしつつ、ジェリエッタがぶんぶんと首を振った。
「レオ殿の手作り香水、明日から大切に使わせて頂きますッ! というか、今! 今すぐ使ってもよろしいでしょうか!?
「ははは、どうぞどうぞ」
 ジェリエッタがいそいそと『バルカの情熱』のキャップを開け、慣れない手付きで23回ほど香水を吹きかける。薔薇とジャスミンを思わせる気品のある香りがほのかに周囲に漂い、ジェリエッタの表情もまたふんわりと和らいでいった。
 ドラゴンの余剰魔力を吸って成長するバルカの花は、香水にすることで蓄えられた魔力を他者に分け与える事ができる。香水を付けた者とその香りを嗅いだ者、その両方にだ。自ら前線に立って積極的に兵の指揮を執るジェリエッタのような騎士には、まさにうってつけのプレゼントと言えるだろう。
 そんな彼女を見て満足げな笑みを浮かべていたレオが、ふと思い出したように口にした。
「しっかし、エドヴァルトの奴はどこ行ったんだ? 昨日から城を出ていったままじゃないか。まさかあいつ、娘の誕生日を忘れてるんじゃないだろうな」
「そういえばそうですね。今日も帰ってくる様子はないですし」
 香水の小瓶を懐にしまい、ジェリエッタが窓の外に目をやった。七月も間近だというのに魔王城周辺の山々には雪が残ったままだが、しかし空は澄み渡るような青空だ。
 この空の下、どこかに父がいるのだろう。そして、おそらくは今この瞬間も、自分への誕生日プレゼントを探してくれているに違いない。自信満々にジェリエッタが頷いた。
「大丈夫です! 私が物心ついてからこっち、父上が誕生日のお祝いを忘れた事は一度もありませんので。きっとプレゼント探しに時間がかかっているのでしょう!」
「本当かぁ?」
「本当ですとも! ……私は信じています。竜将軍エドヴァルトにしか用意できない、唯一無二の素敵な誕生日プレゼントを、父上が必ず持ってきてくださると……!」

 ──その日の夜。二つ目の『バルカの情熱』を父から貰ったジェリエッタは大いに困惑することになるのだが、それを詳細に語る必要はないだろう。
 愛する娘のために父親が奮闘した、ということ。
 重要なのは、ただそれだけなのだ!
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