◆エナドリの友
「栄養ドリンク?」
 ある日の魔王城、幹部用会議室。魔将軍シュティーナに呼び出されたレオは、淡紅色の液体が入った小瓶を手渡されていた。
「はい。人間界の秘伝書を参考に、私独自のアレンジを加えたものです。あなたなら知ってるかしら……〝レッドグリフォン〟って名前なんですけど」
「あぁ、知ってる知ってる! 〝翼をさずける〟ってやつだろ」
 レッドグリフォンとは数百年ほど前に人間界で発明された栄養ドリンクだ。キャッチコピーは『レッドグリフォン・翼をさずける』──その謳い文句の通り、幻獣グリフォンのごとき身軽さと力強さを与え、三日三晩寝なくても活動できるようになる、一種の秘薬である。
 原材料が高価な上、製法を独占していた都市国家が大洪水によって海の底に沈んでしまったこともあり、そのレシピは今や幻のものとなっている。わずかに残された古文書を読み解き、さらに独自のアレンジを加えることでレッドグリフォンを現代に蘇らせたのは、さすが魔将軍シュティーナといったところだろう。
「懐かしいな~、当時の錬金術師ギルドでもずいぶん話題になってたよ」
「そうなのですか? アルケミスト達が、栄養ドリンクを?」
「どんな栄養ドリンクも、結局はポーション──水薬だからな。世界各地で新薬の開発を担っている錬金術師ギルドとしては、レシピ不明のポーションが市場に出回ってるってのはよろしくなかったのさ。色んな材料を使って〝グリフォン・もどき〟を作ってみたんだが、なかなか上手くいかなくてな……結局どんなレシピだったんだ?」
「え、っと、ですね……」
 バツが悪そうにシュティーナが目をそらし、もごもごと口にする。
「……一部を除けば、意外と平凡なレシピでしたよ? セージに紫霊芝、氷樹の根をすりおろしたあと、水とグリフォンの血が9:1になるように混ぜたもので捏ねて粉末状にしたものを蒸留水に混ぜて……最後に『ピクシーアンブレラ』という特殊なキノコから抽出したエキスを加えるのですが、これだけは入手が難しくて」
「ピクシーアンブレラか。あれ、乱獲で絶滅しちゃったんだよな。かわりに何入れたんだ?」
「……」
 シュティーナがまたも口ごもった。縮こまり、上目遣いでちらちらとレオを見、隣のテーブルを見、またレオを見る。その姿は完全に、何かをしでかしてオトナに怒られる直前の子供そのものだった。
「……おい。何を入れたんだ? 言え」
「かわりに、サカサダケから抽出したエキスを……ちょこっと……」
「サカサダケ!? あんなの入れたのかお前!?
「ま、魔界ではメジャーな食材なんですよ!」
「知るか! 人間界じゃあ仕入れるだけでも免許と届け出が必要な超・危険物だぞ!」
 サカサダケは極めて特殊な毒キノコだ。ただ毒といっても、発熱や呼吸障害など命にかかわる異変が起きるわけではない。……その名の通り、対象者の属性をしばらくの間『逆さ』にするのだ。
 属性というのは多岐に渡る。炎の精霊の加護を受けているから炎の術が得意、なんていうのも属性だし、明るい性格・暗い性格というのも属性と言えるだろう。性別や体格なども属性と言えば属性だ。
 そういった属性を、ランダムで、数時間から数日の間反転させる──それがサカサダケの性質である。たしかに、疲労や眠気といったバッドステータスだけをうまくチョイスして『反転』させれば、無敵の栄養ドリンクとなるだろう。事実、オリジナルのレッドグリフォンはそうしていた。
 では、今回のレッドグリフォン・カスタムはどうだろう?
 これは間違いなく失敗だ。レオとシュティーナが頑なに目をそらし続けている隣のテーブルを見れば、結果は一目瞭然だった。
「誤算でした……私やエキドナ様が飲んでも全く副作用が起きなかったとはいえ、軽率にみんなに振る舞うべきではありませんでした……!」
「小さい頃からサカサダケに接してきた魔族とそうでない人間とじゃ耐性が違うもんな。……やっとわかったよ。この惨状が引き起こされたワケが……」
「はい……」
 肩を落としたレオとシュティーナが、会議室に置かれた隣のテーブルの方を向いた。そこでは三人の少年少女が──つまり、様々な属性が反転したリリ、メルネス、エドヴァルトの三人が、ランチミーティングに勤しんでいるところだった。
「まったく信じられませんね。これが昨日までのわたしがやった仕事だなんて、あまりに雑すぎてめまいがしてくるのです」
 そう言ったのは、オオカミの耳をピンと立てた少女だ。お箸を使って几帳面にからあげをつまんでいる姿からは、とてもではないが普段の──快活でおバカな獣将軍リリの──面影は感じられない。
 現状把握のためにランチミーティングをしましょう、と幹部たちに声をかけたのは、他でもないこのリリだった。女性向けのビジネススーツにぴしっと身を包み、自身が指揮する兵站業務の書類チェックを進めるその姿は、多忙かつ有能なビジネスパーソンそのものだ。どうも彼女は性格面が大きく反転してしまったらしい。
「レオ兄様のおかげで大幅に業務フローが改善されたとはいえ、まだまだ無駄なタスクは多いし、納期の遅れも目立ちます。一日でもはやく更なる業務改革を行えるよう、魔王様に進言する必要がありそうなのです」
 はあ、と息を吐くリリ。その溜め息の中にはプライベートな悩みも含まれていた。
 普段のリリは身体をしめつける下着や服が好きではない。今着ているビジネススーツは急遽裁縫部に仕立ててもらったものだし、下着に至っては数枚しか存在せず、毎日着用するには到底足りない……つまりこのままでは早晩、露出の多い普段の格好で、しかも下着無しで過ごさなければならなくなる。これが今のリリにとって最大の悩みだった。
 昨日までの自分はいったい何を考えていたのか。十二歳にもなるというのに破廉恥にも程があるのではないか。ただでさえ忙しいのに、下着や服選びにわざわざ時間を割かなくてはならないとは……。
 普段の自分が恨めしい。そういった溜め息を可能な限り押し殺しつつ、リリは向かいに座る少年に話題を振ることにした。
「まあ、わたしの事はいいのです。……それで、メルネスさんのほうはどうですか? 仕事上の問題などありませんか?」
「仕事面は問題ありません! むしろ問題なのは、平時の私の態度ですねっ!」
 背筋をしゃきっと伸ばして返事をしたのはメルネスだ。いや、メルネスに似た何者かだ。いつも身につけていたフード付き外套はそのままだが、全体的に体つきが華奢になり、声が高くなり、髪の毛が長くなり、胸に膨らみが……率直に言うと、メルネスの場合は性別が反転していた。いや性別だけではない、性格もだ!
「見てくださいこの『メルネスくん』の記録映像! レオさんのお陰で幾分改善されたようですが、挨拶から何までボソボソと小さい声で喋っていて、およそ覇気というものが一切感じられません! これはいけませんよ!」
「覇気、そんなに必要ですか?」
 こいつの声うるさいな、という気持ちを隠そうともせずリリが眉をひそめ、耳を半分ほど折りたたむ。メルネスの方はどこ吹く風だ。
「必要ですともっ! 幹部たるもの、常にみんなのお手本になれるよう気を遣って生活せねばなりません! すなわち必要なものは元気、勇気、覇気! リリさんももう少し大きな声で喋ったほうが良いと思いますよ!」
「ごしんぱいなく。言われなくても、大きな声が必要な時はちゃんと出せるのです」
「あのー、ちょっといいかな?」
 リリとメルネスの間に座った赤毛の少年が奥ゆかしく手をあげた。二人の視線が同時に集中する。
「ボクらが今考えるべきは、昨日までの仕事の引き継ぎ──ではなく、もとに戻るまでの数日間をいかにトラブルなく過ごすか、じゃないかな? さっきシュティーナから大雑把に説明を受けたけれど、数日経てば戻るんでしょ?」
「戻らないかもですよ。エドヴァルトくん」
「それは困るなぁ」
 さほど困った様子を見せず、赤毛の少年がへらりと笑った。
 見たところ、年齢はリリと同じくらい──十二か十三歳といったところだろう。全体的に中性的な顔立ちをしていて、声を聞かなければ、いや、声を聞いてもなお、男性なのか女性なのかの判断が難しい。
 それでも少年だと断定できるのは服装のおかげだ。全体的に布地が少なく、特に上半身はぴったりと肌に露出した半袖のインナー一枚。線の細い身体にしなやかな筋肉がついており、あちこちを覆う赤い竜鱗と合わさって男性的なシルエットを作り出している。言うまでもなく、竜将軍エドヴァルトの幼い頃の姿である。
 リリやメルネスと違い、こちらは年齢だけが反転した状態だ。若くなった肉体年齢に引っ張られたのか、性格も当時の──つまり少年時代のエドヴァルトのものに戻ってしまっているようで、普段の彼からは到底想像できない喋り方をしている。
「〝エドヴァルト〟は十五歳のときにラルゴを離れて武者修行に出て、その中でいろいろな強さを手に入れたらしいんだ。今の姿でもそのへんの雑魚に負ける気はないけど、やっぱり大人のボクの方が強いだろうし、魔王軍の役にも立てると思うんだよね。戻れないのは困るよ」
「ふむ。実際、今のエドヴァルトくんはどれくらいの強さなんですかね?」
 リリが投げかけた質問に対し、エドヴァルトが至極ほがらかに──そしてさも当然のように返答した。
「わかんない! でもまあ、リリとかメルネス程度なら楽勝だと思うよ」
「……ほほう?」
「でも体格のせいでリーチが短いからなぁ。筋力もところどころ物足りない気がするし、やっぱり魔王を相手にするのは厳しいと思う。いざって時に下剋上を狙えないようじゃ、四天王としては色々力不足だよね」
「うーむ! さらりと聞き捨てならないことを言ってくれますねエドヴァルトさん!」
 がたり、と音を立ててメルネスが立ち上がった。
「魔王様に対する反逆予告もそうですが……問題なのは、その前!」
「前?」
「はい! リリさんはともかく私にまで楽勝宣言をするとは、無影将軍メルネスをちょっと侮りすぎです! これは見逃せません、見逃せませんよ!」
「……ちょっと。リリさんはともかくってなんですか」
 リリの抗議を無視し、メルネスとエドヴァルトがにらみ合う。両者の間で見えない火花が散ったように感じられた。
「見逃せなかったらどうする?」
「今すぐ私と勝負してくださいっ! 私メルネスが勝ったら、その不遜な態度を即座に! 徹底的に! 改めていただきます!」
「ははは! いいね、そう来なくっちゃ!」
「ちょっと! リリさんはともかく、ってなんですか! はっ倒しますよ!」
 リリの全身が光に包まれ、《フェンリル》へと姿を変える。メルネスは跳び退いて距離を取り、エドヴァルトは床に放り出してあった大剣を担ぎ上げ──
 次の瞬間、三人が猛烈な勢いで激突した。物理と魔力、二重の衝撃波によって会議室の壁と調度品が粉砕され、そのまま城の外で大乱闘をはじめる。
「…………おい。シュティーナ」
 草木が薙ぎ払われ、山の形が変わるのを見ながら、レオがぽつりと呟いた。
「今すぐ、あいつらを元に戻す薬を作れ。俺も協力する。……魔王軍と周囲の地形が崩壊する前になんとかするぞ! 急げ!」
「はい…………」

 結局、解毒薬が完成したのはそれから37時間後のことだった。当然その裏に、レッドグリフォンを飲んで不眠不休で頑張ったレオとシュティーナ(とエキドナ)の努力があるのは、言うまでもない。
 かくして栄養ドリンクが引き起こした『属性反転事件』は解決し、『属性反転した状態の方がかわいい』という軍団員によって作られたリリ・メルネス・エドヴァルトのファンクラブもまた、ひっそりと解散したのだが──

「レオ、見てください! 伝説のエナジードリンクの再現に成功しましたよ! この〝モンスターバイタリティ〟があれば二十四時間不眠不休で」
「まだ懲りてねえのかお前!!
 ……エナドリこそが仕事における最高の友、と信じて疑わない魔将軍は、その後も定期的に自作ドリンク(副作用あり)の開発に手を出すのだった。
  1. S
  2. M
  3. L
  4. 画面拡大
  5. 画面縮小

ページトップへ戻る