◆感動を呼ぶはじめてのおかいもの
「リリ。いい子だからここは俺に任せて……」
「いーやー! あたしがやる、あたしがやるの!」
 もう何度目の説得だろうか。レオの言葉に一切耳を貸さず、リリがぶんぶんと首を横に振った。身振り手振りとしっぽ振りまでまじえ、レオに対して力説する。
「これはヘータン兵站の問題でしょ? ヘータン部門の責任者として、レオにいちゃんに丸……丸……」
「丸投げ?」
「丸投げするのは間違ってると思うの! ねっ、あたし頑張るから! あたしにやらせて! おねがい!」
「はぁ……わかったよ。じゃ、買い付けはお前に任せる」

 発端は、魔石だ。
 魔王軍で採用している魔石──『血霊石けつれいせき』。ホムンクルスやゴーレムの心核に使用される、魔界ではごくありふれた鉱石だが、この血霊石、人間界においては一部の土地でしか出土しない希少なものだった。
 もっとも、希少だから高いというわけではない。人間界では血霊石を使った術は非常にマイナーで、率直に言えば利用価値のないクズ鉱石として二束三文で叩き売りされているのだ。ワイル村という寂れた集落が主な産地として知られているため、魔王軍は半年ほど前からこのワイル村との独占取引をして…………〝いた〟のだった。
「だがリリ、分かってるな? ワイル村の村長が変わって以来、あの村では魔王軍に対する風評被害が激しい。人間を殺して食ってるとか、ワイル村の占領を企んでいるとか……メルネスが裏から手を回しているが、誤解を解くにはもうしばらくかかるだろう。お前が魔王軍だとバレたら、絶対に、100%、血霊石は売ってもらえない」
「わかってる! 血霊石の在庫がなくなっちゃったら、お城のしごとにも影響が出るんだよね!」
「そーだ。だから今回は魔王軍ではなく、偶然村にやってきた行商人を装うんだ。『珍しい鉱石ですね、ちょっと仕入れてみようかな』って感じにな。大勢で行くわけにもいかんから、交渉から何まで全部一人でやってもらう必要がある。……ほんとのほんとに、お前にできるのか?」
「できるできる! あたし、ラルゴのおしごとではしっかり責任者してるし、おみせの人と交渉だってしたことあるんだよ! 大丈夫、大丈夫!」
「ほんとかなぁ……」
 心底不安に思うレオだったが、これ以上リリを説得したところで彼女が退くとは思えなかった。
 言ってみればこれは、背伸びしたがる子供のおつかいと同じだ。子供の好奇心を抑え続けることはできないし、目を離したスキに一人でおつかいに行ってしまえばそれこそトラブルに繋がりかねない。
 幸いにして、今日は仕事も少ない。ラルゴの時のように状況把握用の魔眼を飛ばし、常にリリを見守るようにすれば問題ないだろう──渋々といった顔で、レオはそう結論付けたようだった。
「わかった。そのかわり、俺も魔眼越しに状況を見守らせてもらう。こっそり通話できるように通信機も渡しておくから、いざという時は俺の指示に従うんだぞ」
「はーい!」
「……大丈夫かなあ……」
 げんきな挨拶、そして大きな不安と共に、リリの『はじめてのおつかい計画』がスタートしたのだった。

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『──そろそろワイル村だな。リリ、準備はいいか?』
「だいじょぶ!」
『口調、口調!』
「おっと!」
 レオからの通信を受け、こほん、とリリが咳払いした。
 今のリリは普段の格好ではない。年齢や服装を呪文で操作し、167歳程度の行商人風の少女に変装している。
 快活そうな、それでいてどこか育ちの良さを感じさせる、すらっとした背の少女だ。オレンジのロングヘアを揺らすその姿は、事情を知っていれば成長したリリをかすかに連想させるが──よほどのヘマを踏まない限り、魔王軍四天王のリリ本人だとバレることは無いだろう。
「もう大丈夫ですわ! 今日のわたくしは血霊石の買い付けに来た、ミリルという見習い商人ですの。変装はばっちりだよ……ですわ!」
『いいぞ、その調子だ。なんで血霊石が欲しいのかは覚えてるか?』
「もちろんですわ! えーと……わたくしは魔石商人の娘で、新しい目玉商品を探してるの……探しておりますの。他の商人が扱っていない珍しい魔石ということで、この村でしか採れない血霊石に目をつけたのです! ……ですわ!」
『よしよし、バッチリだな! その調子なら問題なさそうだ。行ってこい』
「はーい! ですわ!」
『あと、〝ですわ〟を無理やりつけようとするのはよせ。不自然すぎる』
「はい!」
 威勢よく返事をしたリリ──否、ミリルがワイル村に足を踏み入れた。
 ワイル村は寒村だ。砕石、そして小規模な牧畜を主産業とするが、街道からも外れており、商人や旅人の往来は少ない。ミリルの姿を認めた何人かの村人が『なんでこんな村に』と言いたげな怪訝な表情を浮かべたが、特に彼らが何かを言ってくることはなかった。魔眼で周囲の状況を見守っていたレオが安堵のため息をつく。
『(よかった……入って早々に変装が見破られるんじゃないかと心配だったが、少なくともその心配はなさそうだ。リリも不慣れなりに頑張っているし、わざわざ魔眼まで飛ばす必要はなかったかもな)』
 レオが魔眼越しに見守る中、ミリルは村の広場にある魔石売り場まで足を伸ばしていた。砕石の過程で採れた様々な魔石は既に売約が決まっているようだが、唯一、山盛りになった血霊石だけは全く買い手がいない。
 やはり血霊石を使うのは魔王軍くらいなようだった。暇そうにしている魔石売りの青年に、ミリルが声をかける。
「こんにちは。魔石を売ってくださる?」
「らっしゃい。ここらじゃ見ない顔だな、行商人かい?」
「ええ、ミリルと申します。まだ見習いですけれど」
 にこり、とミリルが柔和な笑顔を見せた。その笑顔は、中身があのリリだとは思えないほどに気品と慈愛に溢れており、魔石売りはもちろん、見守っているレオですら一瞬ドキリとするほどだった。
「そ、そうかい。……何をお探しで? 見ての通り、大したモノはないんだが」
「商人の父に言われて、新たな目玉商品を探しておりますの。ほうぼうで聞き回った結果、ここでしか採れない血霊石という石があると聞きましたので、是非にと」
「血霊石を買ってくれるのか……! ありがたい!」
 その名を出すと、魔石売りの顔色が変わった。周囲をキョロキョロと見回しながら、ミリルにだけ聞こえるように耳打ちする。
「いや、実はな。こうして売れ残っている血霊石だが、つい最近まで、こいつをガッツリ買っていってくれる大口のお客さんがいたんだ。誰だと思う? ……聞いて驚け、あのエキドナ魔王軍だよ!」
「まあ」
 わざとらしく驚くミリルに対し、青年が更に事情を吐露する。
「二束三文でしか売れないクズ石をちゃんとした価格で買ってくれるもんで、俺たち商人も鉱夫も助かってたんだ。それが、新しく就任した村長が大の魔族嫌いでさ……『あいつらに血霊石を売るくらいなら誇りある飢えを選ぼう!』とか言い出して、魔王軍と絶縁しちまったんだ。いや、買ってくれるなら助かるよ」
「ふふふ、丁度いいところに来れたようですわね。よかったら、その魔王軍の方々と同じ値段で買わせていただきますわ」
「本当かい! 助かるよ! じゃ、こっちの書類に名前と連絡先を書いて……」
『(おお、やるじゃないかリリ……! 完璧に演技をやり通しやがった!)』
 レオが思わず感嘆の唸りをあげる。ミリルの──リリの演技は、レオが予想していた以上に完璧だった。
 そういえば先日、リリがメルネスから変装術を教わっているらしいという話をエキドナから聞いた気がする。その時は『リリに変装は無理だろ』と鼻で笑ったものだが、どうも認識を改める必要があるようだ。
 ラルゴ島の時といい今回といい、リリの成長度合いは凄まじい。向き不向きこそあれど、一度やる気を出せば、まるで乾いた水が大地に染み込むような勢いで技能を身に着けてしまう。
 帰ってきたら褒めてやらなければ。
 レオがそう思った矢先だった。魔眼の向こうから、不穏なやりとりが聞こえてきたのは。
「そうだ、ミリルさん。悪いが一個だけ質問に答えてくれるか?」
「質問?」
「ああ。村長からの命令でね。血霊石を欲しがるやつにはこの質問をしろって。……俺も正直、質問の意味がわからないんだが……一応規則ってことでさ」
 青年が手に持っているのは、村長から渡されたメモだろう。そこに書かれていると思しき『質問』に目を通しながら、青年もまた怪訝な顔で首を傾げている。
「ふふふ。わたくしに答えられる事でしたら、なんなりと。決まりでしたら仕方がありませんわ」
「じゃあ、えーと……〝レオ兄ちゃんのこと、好きかい?〟」
「すき!」
!?
!?
 青年とレオが同時に面食らった。当のリリ本人はといえばすぐには失言に気づかず、数秒遅れてからハッと息を呑む有様である。
「あっ……いえ! 違いますの、ですわ! これは……そう! 幼馴染にレオ兄さまという人が居て、その人がとても……かっこいいの! ですわ!」
「そ、そうかい……ならいいんだが。実は村長から、〝この質問に即答できるやつは魔王軍四天王だから気をつけろ〟って言われててな。あまりに即答だったからビックリしちまったよ」
「あ、あはは……」
「俺からは以上だ。ここにある血霊石はサンプルだから、奥の倉庫で手続きをしてきてくれ。二人、三人から同じような質問をされると思うが、まあ気にしないでくれ」
「わ、わかりました! ですわ!」
 ギクシャクとその場を離れるリリ。その後ろ姿を魔眼で見守りながら、レオが冷や汗を拭い……必死に状況を整理する。
『(まずい。まずいぞこれは……! 新しい村長とかいう奴、魔王軍のことをめちゃくちゃに調べてやがる! リリが出てくる事まで読まれてるじゃねえか!)』
 青年の言葉を信じるなら、この先も何人かから同じ質問をされるのだろう。
 村長に疑念を抱き、魔王軍のこともよく知らない青年相手は、いわばイージーモード……誰でもクリアできるチュートリアル的存在に過ぎないが、この先はもっと不意打ちで正体を暴いてくるに違いない。リリの正体がバレたら最後、ワイル村の警戒は強まり、血霊石取引は大幅に困難になってしまう……!
 事実、魔眼の向こうでは次の試練が始まっていた。年老いた、しかし眼光鋭い男が、書類の内容を確認しながらリリに質問している。
「ミリルさんですね。所属は?」
「兵站……じゃない! ふ、フリーです! フリーの魔石商人見習いです! おとうさ……父に言われて目玉商品を探しているって、さっきの人にも説明したのですけれど!」
「これは失礼を。──ところで、魔将軍の名前って何でしたっけ? ジュテーム?」
「ジュテームじゃないよ! シュティーナだよ!」
「…………」
「あっ、いえ! これは……そう、一般常識! ですわ! 魔王軍四天王の名前なんて今や世界中の誰もが知っていること……ですわ!」
「なるほど、なるほど」
「あわわ……」
『(まずいまずいまずい! これはもうバレる、絶対にバレる……!) ──おいリリ、その場を離れろ! ちょっと作戦会議だ!』
 リリを物陰に呼び出したレオが、慌てた口調で言った。
『……新しい村長はよほど入念に俺たちの事を調べてるらしい。こうなったらもう、お前の正体がバレるのは時間の問題だ! 今すぐ俺がそっちに行くから、引き継ぎまで時間稼ぎに徹して……』
「いや!」
『嫌ァ!?
「これはあたしが請け負った仕事だもん! 途中でレオにいちゃんに丸投げなんて、絶対できないよ! なんとか……あたし一人でなんとかしてみせるから、レオにいちゃんはそこで見てて!」
『いやなんとかってお前……!』
「──ミリルさん、どうかなさいましたか?」
「なっ、なんでもありませんの! ですわ! わたくしは魔王軍と一切関係のない、たまたまやってきただけの行商人ですの!」
『(バカ! 自分からどんどん怪しさを増していってどうすんだ!)』
 変装に限った話ではないが、仕事というのは上手く行っている時ならば誰でもできる。いや、誰でもというのは言い過ぎにしても、上手く行っている時であれば新人だろうがベテランだろうが、ある程度安定した結果を残せるものだ。
 真に技量が問われるのは、こうしたトラブルが起きた時である。いかに上手く、そして素早くリカバリーし、状況をもとに戻せるか──残念ながら変装初心者のリリにとって、それはあまりにも難しい仕事だ。慌てれば慌てるほどボロが出て、更に状況は悪化してしまう。今のように。
「……だめだ。リリに任せっきりにしたら最後、絶対に終わる……!」
 もはや一刻の猶予もない。マイクをミュートにしたレオが椅子から立ち上がった。
 現地までは転送呪文で一分。助けにきた事がリリにバレるわけにはいかないし、リリ=ミリルが魔王軍関係者だとバレるわけにもいかない。
 早急に、どんな手段を用いてでも、ワイル村の人々に『ミリルは信用できる人間』だと思わせなければ……!

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 ──翌朝。

「ふあ……おはようさん」
「遅いぞレオ! 珍しいな、お前が幹部定例会に遅刻とは」
「まあ、ちょっとな。リリは?」
「まだだ。エドヴァルトが呼びにいっているので、もう少し待つとしよう」
 週明けの朝から開催される、魔王軍幹部定例会。
 遅刻してきたレオを含めると、会議室にはリリとエドヴァルト以外のメンバーが揃っていた。妙に疲れ切ったレオにさして気をとめることなく、エキドナとシュティーナが何気ない世間話をはじめる。
「そういえば聞きましたかエキドナ様? ワイル村の話。なんでも凶悪な盗賊団に襲われたそうですよ」
「なんと! 自警団すらない小さな村だぞ。大丈夫だったのか?」
「ええ。たまたま現場にいた、えーと……ミリルとかいう行商人が機転を利かせて撃退したそうです。村ではミリルはもう英雄扱いだとか」
「それはよかった。あの村は血霊石が手に入る貴重な拠点だからな」
 ほっ、とエキドナが溜め息をついた。
 ワイル村に限らず、リーダーが変わったことで魔王軍との取引を中止する自治体というのは少なくない。その場合、対策は『長い年月をかけて魔王軍が信頼できる相手であることを理解してもらう』か、『別の業者から仕入れる』かのどちらかだ。
「ワイル村には今後も使者を送り、信頼関係の構築に努めよう。直接取り引きができるようになるまでは、そのミリルという商人から血霊石を仕入れるしかあるまい。多少の中間マージンは取られるだろうが、血霊石の在庫が尽きるよりはマシよ。──ミリルとコンタクトを取るよう、リリに命じてみるとしよう」
「いいですね! 最近のリリは色んな仕事を経験したがっていますから。そういうちょっとした〝おつかい〟は喜びますよ、きっと!」
「……」
「レオ、どうしました? 変な顔して」
「……いや、なんでもない。疲れただけだよ。めちゃくちゃな……」
 これから何度リリの〝おつかい〟があり、何度自分がサポートに駆り出されるのか。
 そんな想いを抱きながら、『ワイル村へのおつかい』を成立させた影の功労者は、ぐったりと机に突っ伏したのだった。
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