◆会計担当
メルネスvs確定申告

──お願いしますメルネス! 幹部のB種確定申告、私の代わりにやっておいてください! 今日明日で急な出張が入ってしまって……!」
「はあ」
 慌てた様子のシュティーナが僕のもとに駆け込んできたのは、とある日の朝のことだった。
 最近の──レオが入ってからの魔王軍は、様々な事業に手を出している。魔獣退治や傭兵派遣、治安維持などの民間軍事会社PMCめいたものもあれば、運輸業や清掃業などの平和なものまで様々だ。
 当然だが、事業として手を出す以上、このどれにも『経費』が発生する。この仕事で、こんな事をして、こういう経費がかかりました──というのをフィックスさせるのが、シュティーナが頼んできた確定申告だ。大昔の確定申告はもっと複雑で、様々な魔術的儀礼が必要だったらしいのだが、今ではシンプルに『経費の計算』だけになっている。
B案件……つまり、Battle戦闘に限定した確定申告か。それ以外は終わっているのか?」
「終わってます! 一般軍団員のものも作業完了してますから、あとは本当に幹部のB申告だけですね。私とレオの書類はここに持ってきてます」
 そう言ったシュティーナが二人分のファイルを鞄から取り出す。中を見ると、ここ半年分で彼らがこなした無数の仕事の内訳と、それらの案件で発生した経費に関する報告書がまとまっていた。
「自分で言うのもなんですが、私とレオの分は綺麗にまとまっているので簡単だと思います。まずこれらの書類を見て、経費をリスト化して月ごとに……」
「知ってる」
 口早に説明しようとするシュティーナを遮る。B種確定申告なら暗殺者ギルドマスターとして何度か関わったことがあるし、つい先日も食堂のバイトで領収書のまとめを手伝わされたばかりだ。
B種申告で必要なのは経費の計算だけだ。領収書やら報告書から経費関連の数字を抜き出して、月ごとに見やすくリスト化すればいいんだろ。〝この月はこれだけの案件があり、これだけの経費がかかりました〟ってわかるように」
「さすがメルネス……! そこまで知ってるなら大丈夫そうですね」
「……これは本来お前の管轄業務だ。一つ貸しだぞ」
「も、もちろんです! この御礼は必ず、必ずしますから! じゃあすみません、後を頼みます!」
 シュティーナが幾度もぺこぺこと頭を下げ、僕の部屋を去っていった。現在時刻は朝の8時。そろそろみんな起きて食事を摂ったりしているころだろう。
──《影分身シャドウサーヴァント》」
 短く念じ、影を使った分身を生み出す。戦闘に使うならもっと複雑な詠唱が必要な呪文だが、短い伝言ならこれで十分だ。
 僕は残る幹部──シュティーナ以外の四天王とエキドナに『B種確定申告の提出は今日まで。関連書類を僕の部屋まで持ってくるように』と分身経由でメッセージを送り、その間にレオとシュティーナの経費をリスト化することにした。
 作業にかかる見積もりは1人あたり30分。この作業が終わる頃には、エドヴァルト・リリ・エキドナの誰かが書類を持ってくることだろう。

----

──おう、おはようさん! なんだなんだ、今回からお前が会計担当か!」
 最初に訪ねてきたのはエドヴァルトだった。早朝訓練を終えたばかりなのか、額や胸元に汗が輝いている。シャワーくらい浴びてきてほしい。
「違う。シュティーナから押し付けられただけだ。急な出張が入ったらしい」
「ああ、そういえばそんな事を言っていたな。錬金術師ギルドの作った巨大ゴーレムが暴走しているとかで、レオ殿と一緒に鎮圧に向かうらしい」
「わざわざ幹部二人で行く必要あるのか? レオかシュティーナ、どっちか一人いれば十分だろ」
「現場はシュティーナが行ったことのない町らしくてな。何度か行っているレオ殿の《瞬間移動テレポート》で連れて行ってもらって、そのまま一緒に仕事をやってしまおうという事らしいぞ」
「……なるほど。そういうことか」

 経費には様々な種類がある。現場での飲食費もそうだし、次の仕事に繋げるための接待交際費なんかも経費になるのだが──特に毎回、ほぼ必ずと言っていい頻度で発生するのが『移動・交通費』だ。
 魔王軍は『魔界と人間界の和平』を目指して平和的な方向に舵を切ったが、一度《賢者の石》を奪うために侵略戦争を仕掛けた以上、ちまちました事業ではいつまで経っても悪評を拭うことはできない。ゆえに現在の魔王軍は、全世界から多種多様な仕事を受け付けている。言ってみれば、神出鬼没の何でも屋のようなものだ。
 おかげで依頼にはまったく困らないのだが──世界のあちこちから仕事が来るということは、世界のあちこちに足を運ばねばならないということでもある。一度しか行かないような町にいちいち《転送門ワープポータル》を設置するわけにもいかないし、かといって船や陸路を使っていては一つの依頼に何ヶ月かかるかわからない。
 ゆえに、いまエドヴァルトが言った通り、遠距離への移動は《瞬間移動》の呪文で行うのが基本となる。一度訪れた町や拠点へ瞬間移動する呪文──と聞くと、『とんでもない僻地から依頼が来たらどうするの?』と思われるかもしれないが、幸いなことに魔王軍には旅行経験豊富な爺さんレオがいる。どんな僻地でも秘境でもヤツなら大抵《瞬間移動》できるから、経費の大幅な節約に役立っているというわけだ。

「ええと、今回必要なのはB種経費のまとめ書類だったな」
「ああ。持ってきたか?」
「うむ! この中に一式入れておいた!」
 どさり、という音と共にエドヴァルトが鞄を置いた。まだ中を見てはいないが、音から察するにかなりの書類が入っているようだ。
 数が多い……のは仕方がないだろう。あらゆる傭兵業はエドヴァルトが一元管理しているし、こいつ自らが『腕利きの傭兵』として現場に赴くことも多い。現地での飲食やら何やらが多くなるのは自明の理だ。
「わかった。中身を一通り確認、させて、もら、う……」
「どうした?」
「……お前、喧嘩を売っているのか?」
 鞄を開き、僕が最初に目にしたのは、予想通り無数に詰め込まれたファイルだった。先程言った通りこいつは担当するB案件の数が多いから、書類の数が多くなるのはわかる。仕方ない。
 問題は整理整頓だ。いかにも乱雑に、とりあえず書類をはさみましたという感じのファイルの数々──ぱっと見ただけでも3月と5月と12月の書類が混在しており、もうわけがわからない。
 それ以外の部分もひどい。僕が必要としているのは経費関連の報告書や領収書なのだが、余計なものも一緒にファイリングされている。たとえば領収書として取り扱うことができない粗雑なレシートや、魔王軍内部向けのプレゼン資料、誰かの日報や買い物メモなどだ。これではまず、経費関連の書類を『発掘』するところから始めないといけないだろう

「これは違う。これも違う。……これは去年のだ、捨てろ! これは……町長の名刺だぞ。なんでこんなくしゃくしゃになって放り込まれてるんだ!」
「ああ、そんなところにあったのか! その仕事は色々大変でな。話せば長いが……」
「いい。話さなくていい。お前への殺意が募るだけだ」
「すまん、すまん。俺も手伝うから許してくれ」
 エドヴァルトが頭を下げる。手伝うのは当たり前だろ──と言おうとしたが、続く城内放送がそれを許さなかった。
──エドヴァルト将軍へお伝えします。本日1030より、ジェリエッタ軍とエドヴァルト軍による模擬戦が予定されております。将軍におかれましては速やかに地下演習場まで──
「……おい。呼ばれてるぞ」
「しまった、今日だったか……! すまんメルネス、この演習は俺抜きでやるわけにはいかんのだ! この埋め合わせはいつかする故、許してくれ!」
「おい!」
「じゃあな!」
 呼び止める間もなく行ってしまった。あいつは絶対に殺す。
 まあ……最初に着手したレオとシュティーナの分はほぼ終わりかけだから、ここからはエドヴァルトの経費計算に集中できる。『発掘』に1時間かかったとしても、リスト化と合わせて1時間半。まだスケジュールに狂いはない。
 この時はそう思っていた。狂いはない……そのはずだった。

----

「メルネス~! 来たよ~!」
 次にやってきたのはリリだった。書類が入っていると思しき大きめのリュックを背負い、とことこと室内に入ってくる。
「入るときはノックをしろ。あと、室内では声のボリュームを落とせ」
「もー! メルネスはいちいちうるさすぎ!」
「うるさいのはお前だろ……客先で文句とか言われてないだろうな?」
「だいじょうぶだいじょうぶ!」
 本来のリリは兵站部門を担当しているが、対外的な事業においては『運輸部門』を主に担当している。ポーション、手紙、果てはドラゴンの死骸──何かを運ぶ、という仕事はいつだって需要が高い。ラルゴ諸島での物資輸送によってその辺の経験が豊富になったリリにはうってつけの仕事と言えるだろう。
 リリもまた、エドヴァルトと同じく世界中を飛び回るポジションではあるが、戦闘が絡む仕事は少ない。ゆえにB種確定申告に必要な書類も少なめに済む、と思っていたのだが……。
「はいこれ! カクテーシンコクの書類!」
 みしり。
「じゃああたし行くね! あとよろしく!」
「ちょっと待て」
「? なあに?」
 思わずリリの肩を掴んでしまった。先程の『みしり』という嫌な音は、重量のありすぎるリュックが置かれたことで机が軋んだ音だ。……重量? こいつのB申告書類は大した数ではないはずなのに、なんでこんな重いんだ?
 非常に嫌な予感がする。僕はリリに『待った』をかけたまま、中身をあらためることにした。
「……おい。この報告書は……」
「どうどう? ちゃんとできてるでしょ?」
「どこがだ!」

『○月○日 はれ』
『今日は、エキドナちゃんといっしょにアテンという町にいきました。本当はポーションの納品だけだったんだけど、ここに出るおっきなドラゴンが、行商?の人をおそっていて、大変だそうなので、人助けすることにしました!』
『到着したのは朝の9時! まず町長さんに挨拶をして……』
『お昼ごはんにハンバーグをごちそうしてもらって……』
『ハンバーグって飲食費だから、経費? でもごちそうしてもらったからいいのかな?』
『エキドナちゃんが経費でジュース買ってました。これはあたしの経費じゃないけど、ちゃんとキロクしておこうと思います!』
『エキドナちゃんがハンバーグをいっぱいおかわりしてました。これはごちそうじゃないから、おそらく経費!』
『かっこいい木の棒が売ってたので、買いました! 経費!』
『ドラゴンを倒したので、夜はみんなでお祝いの宴会をしました! 酔っ払ったエキドナちゃんが噴水を壊しちゃってたいへんでした!』

 思わず頭を抱えてしまった。これ、報告書じゃない……リリの日記だろ……。
 最悪なのは、日記部分が長すぎて経費が全部でいくらかかったのかパッと見ではわからないところだ。加えて、『おそらく経費』とされているエキドナのハンバーグのように、経費に含まれるのかどうか分からないものも多い。こんな感じの分厚い日記が、全部で10冊ほどある……。
 エドヴァルトの時と同様、これは丁寧に作業していくしかない。つまり、日記をひとつひとつ読んで『これは経費』『これは経費ではない』『この日の経費は合計いくら』と分類していくのだ。
 はっきり言って死ぬほど面倒くさい。リリはどうしているのかと言うと、得意満面で僕の方を見ている。
「レオにいちゃんがね、〝報告書は詳細に〟って言ってたから、ちゃんと詳細に書いたんだよ! すごいでしょ!」
「そうか。レオは後で殺そう」
「なんで!?
「というか、この〝かっこいい木の棒〟ってなんだよ。こんなのが経費に入るわけないだろ」
「ええっ入らないの!?
「むしろどう考えたらこれが経費になると思ったんだ。かっこいい木の棒、絶対仕事の役に立たないだろ……」
 説教しようと思ったが、やめた。日記を『解読』するだけで軽く3時間はかかるであろう事を考えると、リリの分が終わるのは夕方になってしまうだろう。こいつに説教するくらいなら、その分の時間を仕事に使いたい。
「……お前はもういい。仕事の邪魔だから出て行け」
「はーい! がんばってね!」
「おい! ドアは閉めていけ!」
 開けっ放しにされた自室のドアを閉めつつ仕事に戻る。
 幸いなのは、エドヴァルトの『発掘』が既に半分以上終わっているということだ。これが終わったら軽く休憩してリリのものに取り掛かれば、見立て通り夕方にはリリの分が終了するだろう。
 となれば、残るはエキドナだけ。あいつはああ見えてしっかりしているし、書類に不備もないはず。シュティーナが戻ってくるであろう明日の朝にはすべての確定申告用リストを用意できるだろう。

----

 コン、コン。
「入るぞメルネス。……おお、これは……」
「何も言うな。あいつらへの怒りがこみ上げてくる」
 エキドナがやってきたのは夕方、陽が沈みかけた頃だった。B種申告とは無関係の書類や領収書、謎の日記に囲まれている僕を見たエキドナが苦笑いし、机にエナジードリンクを置いた。
「すまんな。シュティーナの出張がもう少し早く決まればよかったのだが……急遽決まったばかりにお前に面倒をかけたようだ」
「なんでお前が謝る?」
「部下の不始末は上司の不始末ゆえな」

 エキドナが持ってきた書類は少なかった。さすがに数枚程度とはいかないが、それでもファイルひとつに収まる程度だ。まあ魔王自らが現場に出ていって敵を倒すということは滅多にない……というか、そんなことをしたら人間たちに誤解される……ので、エキドナが担当するB案件は基本的に少数なのだろう。エキドナ自身もそれを自覚しているのか、僕を安心させるような口ぶりで言った。

「我のB案件は少ないぞ! そういう泥臭い仕事は〝有能な部下たち〟がやってくれるからな」
「だろうね。お前がB案件をやるのは、それこそ幹部全員が出払ってる時くらいか」
「うむ。書類もきっちりまとめてあるゆえ、安心するがよい」
「どれどれ」
 ファイルを開き、中の書類を確認する。

 ……ふむ。
 ……なるほど。

 たしかに、件数は少なかった。
 エキドナがこの半年で担当したB案件は七つのみ。しかもそのうち一つは先程のリリの日記に出てきた『おっきなドラゴン退治』だから、実質六つみたいなものだ。
 書類もフォーマット通りに作成されているし、案件が数百件を超えるリリやエドヴァルトに比べればずっとマシな部類だと言える。の、だが。
「おい。この〝特選ハンバーグお持ち帰り代〟ってのはなんだ」
「アテンの町のハンバーグが美味しかったからお土産に……」
「……それは完全に自分用のお土産だろ。これは自腹で払え。経費じゃない」
「そんな!? あらゆるお土産は無条件で経費になるのではないのか!?
「そんなワケないだろ……」
「うう……経費になると思ってSSS級を買わなければよかった……」
 エキドナが涙目で肩を落とす。
 残念ながら、こんなのは序の口だ。肩を落としたいのはこちらの方である。
「この〝アテン中央公園・噴水の修繕費用〟というのは?」
「ど、ドラゴンを倒した時に、ちょっと呪文の余波でな……いくら我やレオであっても、周囲に一つも被害を出さずに戦うというのは不可能だ! さすがにそれは必要経費であろう!?
「〝本当に、対ドラゴン戦で噴水が壊れた〟のなら、な」
 ぺらり。
 リリの日記を突きつけると、エキドナの顔が青ざめた。
「この日記によると、〝酔っ払ったお前が噴水を壊した〟とあるけど?」
「うっ……」
「景気づけの花火代わりに《灼熱球スパークフレア》を大量に空に放ったとも書いてあるな。……お前ほどの魔力の持ち主が広域破壊呪文をぶっ放したらどうなるか、分からなかったのか? 魔王のくせに?」
「ちゃ、ちゃんと人がいない方向に向けて撃ったし……アテンのみんなも喜んでたから、別にいいかなって……」
「……それで噴水を壊してたら意味ないだろバカ! これも自腹だ!」
「そんなあ!」
 残りの案件も全部そんな感じだった。
 常々思っていたが、エキドナは『魔界を救う』という義務感で魔王をやっているやつだ。本来はもっとのびのびと──それこそエドヴァルトやレオみたいに現場で好き勝手やるのが向いているやつでもある。
 端的に言えば、最高責任者として城にこもっているのはストレスが溜まるのだろう。当然、たまに外に出られるチャンスが回ってくれば、ここぞとばかりにストレスを発散することになる──その結果がこの有様だ。
「これも経費じゃない。これも……これも! どさくさに紛れて全部経費扱いにするのをやめろ! シュティーナは毎回これでOK出してるのか?」
「出してくれてます……」
「……あいつが元凶か……」
 シュティーナはおそらく、こういう業務はすべて魔術でマクロ化自動化しているのだろう。『これは経費、これは経費じゃない』という計算をすべてオートで実行するようにしてあるから、各々の提出する書類に多少の不備があってもシュティーナ側で修正してしまうのだと思う。
 それで誰が割を食うかというと、こうして業務を引き継いだ人間……僕だ。あいつも一度くらい半殺しにした方がいいのかもしれない。
「はっ……!? すまんメルネス、商業連合とのリモート会食の時間だ! 我はこれにて失礼する!」
「ちょっと待て。まだ残りの案件について質問が……」
「後で聞く! 許せ!」
「……」
 エキドナが逃亡した。
 残されたのは無数の書類。領収書、レシート、リリの日記──そして、明らかに今日の深夜までかかる仕事を託された僕である。

「……あいつら全員、死ねばいいのにな……」

 暗殺者ギルドに入った当時の気持ちを思い出しながら、僕は一言、そう呟いた。
  1. S
  2. M
  3. L
  4. 画面拡大
  5. 画面縮小

ページトップへ戻る